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スタンリーのお弁当箱 インド社会の子供達の現状を伝える映画 [考えさせられる映画]

エンドロールで

土曜日と休暇中に撮影
各日5時間以内の撮影
子供達は1日も学校を休まなかった

インドで働く児童の数は1200万人以上
家事労働も含めると5000万人以上

とあっとことから、

この作品ではインド社会で置かれている子供達の
現実を伝えたかったのかもしれません。

その作品は

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スタンリーのお弁当箱

日本上映2013年のインド映画

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感想と疑問点については後ほど。

=====あらすじ=====

キリスト系の学校に通う4年生のスタンリー。

話上手で明るく人気者だったが
いくつか問題もあった。

宿題をよく忘れる事、左利きである事。

そして弁当を持ってこない事。

友人達に弁当がない事が
バレないようにしていた。

ある日の昼、教室を出て行こうとするスタンリーに
友人が「どこに行くの?」と訪ねた。

スタンリーは「弁当を買いに行く」と嘘をつく。

そんなスタンリーに友人はお母さん手作りの
ポテトのロティを1枚あげようとしていた。

その様子を見ていたヴァルマー先生は
スタンリーに貰うなと注意をした。

ポテトのロティを狙っていたからだ。

ヴァルマー先生は大の食いしん坊で
常に生徒達の弁当を狙っていた。

友人達から弁当を分けてもらう
スタンリーを目の敵にしていた。

ある日、先生達は校長室に呼ばれた。

授業の遅れを冬休みで挽回するから
出勤して欲しいという旨だった。

冬休みに補講があることを生徒たちに
優しく人気者あるロージー先生が伝えた。

補講は長時間だから大きめの弁当を
持ってくるようにとも付け加えた。

大きめの弁当にヴァルマー先生は
ワクワクしていた。

補講日の初日、クラスで一番お金持ちの
アマンの4段式の弁当に目をつけていた。

アマンの弁当で頭がいっぱいだった。

お昼の弁当の時間になった。

スタンリーは教室を出ようとしたが
友人達にどこに行くのか訪ねられた。

スタンリーは

「お母さんが家で作っている」

と嘘をついて教室から抜け出した。

しかし外のマリア像の前にいる
とこをと友人の一人が見つけた。

弁当が無いことが友達達にバレてしまい
「お父さんが出張でデリーに行っていて
お母さんもついて行っている」と嘘をついた。

それを聞いたアマンがお母さんが戻るまで
一緒にみんなで食べよと提案をした。

アマンの弁当が食べ終わることに
ヴァルマー先生がやってきた。

補講の2日目、アマン達はヴァルマー先生に
弁当が狙われ無いように階段下で食べた。

教室にアマン達がいなかったことを
ヴァルマー先生はしつこく聞いたが
上手い理由をつけてごまかした。

3日目はグランドで4日目は大教室で食べた。

5日目にとうとうヴァルマーに見つかった。

何癖をつけて自分から逃げ回っている生徒達に
ヴァルマーは怒りがこみ上げてきた。

そして目の敵にしているスタンリーに言った。

「ネズミ野郎、弁当を持って来ない者は学校に来るな」

次の日、教室にスタンリーの姿はなかった。

スタンリーが学校に来なくなった頃、
支援協会企画のコンサートにホーリー・ファミリー校からも
何人か参加させたいと校長先生から先生達に申し出があった。

構内ではコンサートメンバーのオーディションが行われたが
スタンリーの友人達は歌の上手い彼が適任だと考えた。

そこで、コンサートをスタンリーに知らせようとするが
聞いていた電話番号は不通で、住所も分からなかった。

ある日、友人達はたまたま学校に行っているフリをして
時間を潰しているスタンリーに会った。

そこでスタンリーにコンサート参加メンバーが
練習している場所の地図を渡した。

スタンリーは練習場所に行ってみたが、
学校で選考されていないので見様見真似で
練習をした。

ある日、コンサート練習の指導者が
スタンリーの練習に気づいた。

「どうして上手いのに選ばれないの?」

の指導者からの質問にスタンリーは

「弁当箱がないから選ばれない」と答えた。

指導者はスタンリーを練習に参加させた。

その事をスタンリーは友人達に報告した。

報告は2つあった。

1つはコンサートメンバーに選ばれた事。
もう1つは「明日学校で」という事だった。

次の日、スタンリーは4段の弁当箱を持って
登校してきた。

そして真っ先にヴァルマー先生の所に向かった。

4段式の弁当箱から1つずつ弁当を取り出し
ヴァルマー先生の前に並べて言った。

「全部あげるから学校に来ていいですか?」

スタンリーを追放した事に負い目を感じていた
ヴァルマーは手紙を残して学校を去っていった。

スタンリーは校長から手紙を受け取った。

手紙の内容はヴァルマーからの謝罪だった。

支援協会のコンサートでのスタンリーの演技は
見に来た保護者や教員達の心を打つものだった。

コンサートの帰りにスタンリーを可愛がっている
ロージー先生に送ろうかと提案されるが、

「お母さんが車で待っている」と断った。

自宅まで事情を知っている校長先生が送った。

帰るや否やスタンリーは食堂を営む叔父に
日曜日は忙しいのにどこに行っていたのかと
ビンタされた。

スタンリーの両親はすでに他界していたのだ。

叔父の食堂で調理場で料理人の手伝いを
しながら暮らしていた。

コンサートの指導者からプレゼントされた
4段式の弁当箱の料理は店の残り物だった。

スタンリーの弁当を用意してあげた料理人に
「どうして弁当がないことを黙っていたのか」
と聞かれスタンリーは答えた。

「残りの料理は自分の物ではない」と。

料理人は「でも叔父さんのだろ?」と
聞き返すと「家族じゃないから」と返答した。

「余り物だし俺が作ったから気にするな」
と料理人はスタンリーを諭した。

それからスタンリーは弁当を学校に
持っていくようになった。

スタンリーは料理人の美味しい料理を
「お母さんが作った」と説明しながら
友人達や先生達に振る舞った。

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あらすじを読んでくださったあなたは
先生が生徒の弁当を摘めるのか?と
疑問を持ったかもしれませんね。

調べてみるとインドでは先生は
結構自分勝手な振る舞いをしていて
それが許されているようです。

生徒の弁当をつまむ事は日常茶飯事に
起きているレベルのことらしいです。


カースト制で身分の違う人の食べ物を
食べるのか?

最近では都会ではカースト制の身分に
拘らなくなっているようです。

<感想>

どうしてヴァルマー先生は生徒達の弁当を
つまみ食いする事に執着していたのか?

ひょっとしてヴァルマー先生も
スタンリーのような境遇で育った事が
弁当への執着になっているのかもしれない
と個人的には感じてしまいました。

そして、

スタンリーが周りにバレたくなかったのは
”弁当”がない事ではなく”お母さん”がいない事
だったような気がします。

映画の冒頭でスタンレーの顔にあざがある事や
お母さんがいる素振りを頻繁にすること、
そして左利きが矯正されていないことから

孤児であることはすぐにわかりました。

インドは右手は神聖とされ食事は右手で
行う事が普通です。

左手はお尻を拭いたりする際に使う手で
鉛筆を持って勉強をしていたり、
食事をするシーンはちょっとグッと来ました。

という事で以上です。

ご訪問ありがとうございました。

では。

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